背振山 登山・・・・・(宇部M)
■ 2013/05/18 晴れ 単独 。 福岡県(佐賀県) 背振山 1055m に初めて行ってきました。
山口県宇部市を出発、埴生の ドライブインで朝食、小月インターにのる。福岡IC→福岡都市高速→福重IC で降りる。次に558号線→136号線→椎原バス停を少し過ぎて右の「椎原峠登山口→」看板を右にとり、椎原峠登山口駐車場に向かう。
宇部発が時刻6時30分。途中、食事はする、途中のサービスエリアで仮眠はする。計 1時間 余分にかかりましたので、予定の 登山口 9時スタートできませんでした。
■ある登山地図では椎原バス停より右となっていますが、実際はバス停を過ぎて右が正しい。その右折地点の標識で、「背振山登山口」方面 表記があると思っていましたが、「椎原峠登山口→」表記でしたので迷いました(椎原峠登山口=背振山登山口)。右折して、車を林道に進めるますが、本日1人のため最奥の駐車場まで行く不安にかられ、最奥まで進めて後戻りするのも億劫なので林道の離合場所で車を留め、そこからスタートすることに決めました。連れがおればそんな不安は無かったのに・・・と思い、連れの顔が浮かぶ。準備中、ちょうどその時、登山者に出会い地図を見せて、この位置と登山口最終駐車場の位置関係を問いましたところ、思ったとおりそこから歩いて10分の位置でした。これで一安心。(初登、単独の場合は登山口駐車場が林道最終奥にあろうが、奥まで突っ込まないで転回できる道傍に置く癖が私にはあります)
この度は、気持ちの中で、下山時間が遅くなろうと、日没は遅い、翌日も休み、宿泊の着替えも準備、そんな安直さがありました。ただ、車事故・故障だけは絶対に敬遠したいものです。なを、駐車場、登山口では地図看板と方向指示板があり、また、上り下り途中の分岐地でも方向指示板が完備されており、全く不安がありませんでした。
■昨年、同時期、5月4日に 佐賀県側より雷山→田原山 に行きました。これに連なる山として 九千部山・金山・天山があります。頂上まで車で登れる山は好みませんが、このたび知名度のある背振山にしました。普通登頂時間2時間30分(私の足では実際は??)、さすがメジャーの山だけあって登山者は多いい。「唐人舞」手前のミツバツツジはすでに遅く、すぼみ、散っておりました。また尾根歩きのわりに展望可能な場所は少なく、「唐人舞」だけは270度の眺望ができました。背振山頂下周辺は公共広場・駐車場・飲料水自動販売機・自衛隊施設・等 があり、頂上と言う雰囲気は無く、登山口のように錯覚します。さらに頂上へは石階段を踏み・鳥居・灯篭・石垣根・などを経て三角点の背振神宮祠に向かいます。気になるのは、真後ろにレーダードームがあり、そこの部分角度分だけ眺望できないのは残念です。
■この山の福岡県側の両ルートは谷添えで水飲み場は何処ででもあり、こと欠かない。殻ボトルでよい。また、お茶は、駐車場の自動販売機があり便利。■最後に、帰りは263線の野芥口交差点まで少し渋滞しますが →野芥口交差点右→都市高速 野芥口 に入り→月隅口→大野城口→大宰府 IC ・九州自動車道接続 へ向かいました。 駐車地から自宅まで 2時間20分間、帰宅時刻 午後7時25分。
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1603-14 背中に眼はなし 人は誰も自分のうしろを見ることは出来ない。他人が隠れてこっそり行う悪事にまでは気が付かないものだというたとえ。
1825-01 夏の雨は馬の背を分ける ウマ・セ・ワ 夏の夕立ははげしくてもごく局部的に、しかも一時的にしか降らないもので、それはちょうど馬の背の左右で降るところと降らないところが分かれるほどだということ。「夕立は馬の背を分ける」ともいう。
1604-17 背に腹は代えられぬ   差し迫った大事のためには、ほかの小事が犠牲になるのも止む得ないと言うたとえ。「背中に腹は代えられぬ」ともいう。類「背より腹」、参「尺を枉マげて尋ジンを直ナオくす」
1811-13 団栗の背競べ ドングリ・セイ・クラ 平凡なものばかりで、すぐれたものが見当たらないことのたとえ。また、つまらない者どうしが優劣を争い合うことのたとえ。類「一寸法師の背比べ」、対「掃き溜めに鶴」 参「鶏群の一鶴」
  月夜に背中炙る セナカ・アブ  
  人の背中は見ゆれども我が背中は見えぬ   他人のことはなんでもわかるが、自分のことになるとわからないものだといえたとえ。
  背より腹      
1087-05 一寸法師の背比べ   どれもこれも似たり寄ったりで、優れた人物がいないことのたとえ。また、平凡な人間どうしの間でが優劣を競い合うさま。
1186-07 親の背でもただは掻かぬ セ・カ 物質的な欲心のはなはだ深いたとえ。
1250-06 眼光紙背に徹す ガンコウ・シ・ハイ・テッ
文章の字句や表面的な意味だけでなく、深い内容まで徹底的に洞察力を働かせて読む事のたとえ。「眼光紙背に徹トオる」ともいう。
1270-12 騏驥は日に千里を馳するも、鞭垂其の背を去らず キキ・ヒ・センリ・ハ・ベンスイ
・ソ・セ・サ
(騏驥は、1日に千里を行くという名馬。鞭垂は、むち。名馬は日に千里を走っても、まだ走れるのではないかさらに鞭を打たれる、という意から)才能をひけらし過ぎると、より多くを求められて苦しい目を見る事になるといういましめ。
1783-06 遠くの火事より背中の灸 キュウ 遠くで起こった事よりも身近で起こった事のほうが、たとえ些細な問題であっても、差し迫って感じられるというたとえ。
Apr-66 人を面誉するを好む者は背にして之を毀るを好む メンヨ・ハイ・コレ・ソシ 荘子
21134-10 面従腹背 メンジュウ・フクハイ 表面上は従順な態度で服従しているように見せかけて、心の中ではいろいろと反抗すること。
1239-06 鴨が葱を背負って来る カモ・ネギ・シヨ・ク 利用されるものが、さらに利益になるものを持ってくることのたとえ。
付録 ・・・・・・ 故事・ことわざ・慣用句    「背」 句で 抽出
追伸
上の画像で、後から「コンニチワ」と挨拶されびっくりしたことです。(私は耳が悪いので接近する足音が予知できない理由もあります)、脚を止めてカメラ撮影に集中していましたことや、背中から声を掛けられた様で、本当に腰の抜ける思いがしました。そのときに女性の顔を見ていませんので、その方かどうかわかりませんが、登山口の駐車場に着いた時、私を待ち構えたかのように、美人の女性がポツリと頭をたれ、私に挨拶をくださいました。なぜ・・・・? ここで二度ビツクリ。――もし傍に男性がいなかったら間違えなく その人でしょう。
そこから私の車があります駐車地に向かって林道を下る途中、その方の車が傍に止まり、相手の男性より「下まで(バス停)送りましょうか」といわれましたので、初めて来たので道が不明で、途中の林道に車を止めたことを申し上げて、そのご好意に感謝申し上げました。
―――このたびはまことに女性に縁ある登山でした。